シルクストッキングとの出会い

その日おろしたての靴もいけなかったのだろう。わが家がその先に見えているというのに、足先が麻痺して歩けなくなってしまった。転ばないように注意して靴を脱ぎ、ナイロンストッキングの上から爪先を触ってみるとキンキンに冷えていた。

二軒先の角を曲がって少し坂を昇れば家に着く。人気の少ない時間帯、靴を脱ぐしかない。出会うなら知人がいい、笑い話にはなる。

あれほど身体を冷やさないようにと育てられたのに、まだ若かった私は国際協力の仕事への魅力もあり、九月の長雨にたたられたりして、妊娠中でもある身を省みず早産している。早産でも息子の体重は3キロ近く、臨月ならば難産だったかもと言われたのが、多少の慰めでもあったが、実家の母はやはり正しかった。

母乳に徹したのが幸いしたのか、息子はアトピーにもならず、2歳になった時、だき抱えて家探しをし、さっさと都心を離れた。夫は多忙でもあったが、次男坊ゆえか、長男タイプの仕切屋ではなく、自分の仕事以外のことは世帯主登場要請時が来るまで任せっぱなし。後年、私がSOHOを立ち上げる時に、この時からはじまった任されっぱなしのローン交渉経験や契約書類作成が役立っていた。

さて立ち往生の冷えを経験して本を読みまくり、冷え取り作戦に挑んだ。絹製品が良さそうと知って、ゾクゾクと買い集めて着用し始めた。夫はたちまちシルクしか着なくなった。たぶん日本一、絹を着ている男になった。夏は蒸れずに爽やか、冬温かく重ねてもしなやか。出張先では翌朝には乾いている。キャロン片倉製品には、LLサイズもふつうにあるのが有り難かった。

なかでも「シルクストッキング」はトップスターに躍り出て、ゾクゾク感が収まらなかった。真珠の御木本幸吉さんの有名なことば「世界中の女性の首を真珠でしめてごらんにいれます」を思い出し、私はなんと 「世界中の女性の脚をシルクストッキングで包んでごらんにいれたい」と思ってしまったのだ。